【画像】志穂美悦子の若い頃が美人すぎる!ブレイクのきっかけや現在の活躍に注目!

美しさと強さを兼ね備えた伝説のアクション女優、志穂美悦子さん。

そんな志穂美さんですが、若い頃の美貌や現在の活躍ぶりが気になるところです。

そこで今回は、

  • 志穂美悦子さんの若い頃の美貌
  • ブレイクのきっかけ
  • 現在の活躍

について詳しく見ていきましょう。

目次

志穂美悦子の若い頃が美人すぎる

圧倒的な美貌と演技力で一世を風靡した志穂美悦子さん。

そんな志穂美さんですが、若い頃はどれほど美人だったのでしょうか。

志穂美悦子さんの若い頃は、まさに「美人すぎる」の一言に尽きます。

出典:文春オンライン

1970年代から1980年代にかけて、彼女のブロマイド売上は数年連続でNo.1を記録し、当時の人気スターのバロメーターとなっていました。

志穂美さんは1955年10月29日生まれで、岡山県西大寺市出身です。

子どもの頃から運動が得意で、中学・高校時代は陸上部に所属していました。

中学時代には80メートル・ハードルで13秒4という岡山県歴代2位の記録を樹立するほどの運動能力を誇っていました。

この抜群の運動神経と美貌が、後のアクション女優としての活躍につながったのです。

志穂美悦子の若い頃のブレイクのきっかけ

圧倒的な存在感で映画界を席巻した志穂美悦子さん。

そんな志穂美さんですが、ブレイクのきっかけは何だったのでしょうか。

志穂美悦子さんのブレイクのきっかけは、1974年に主演を務めた映画『女必殺拳』でした。

この作品は大ヒットを記録し、シリーズ化されることになりました。

志穂美さんのアクション女優としての道のりは、高校2年生の時に始まりました。

テレビドラマ「キイハンター」を見て千葉真一さんに憧れを抱いた志穂美さんは、1972年8月に千葉さん主宰の「JAC(ジャパンアクションクラブ)」を受験し、見事合格しました。

同年10月に上京し、JAC初の女優として本格的な活動を開始したのです。

1973年には千葉真一主演作『ボディガード牙』で映画界デビューを果たし、同年の『ボディガード牙 必殺三角飛び』からは芸名を「志穂美悦子」として活動を開始しました。

そして1974年、志穂美さんの人生を大きく変える作品『女必殺拳』で主演に抜擢されたのです。

この作品は国内外で大ヒットを記録し、志穂美さんは「Sue Shihomi」の名で世界的に知名度を上げました。

剣技だけでなく格闘をメインにし、吹き替えなしで複数作品に主演したアクション女優としては日本映画史上初の存在となり、その後も追随する存在は現れていません。

志穂美悦子の現在の活躍

若い頃から圧倒的な存在感を放っていた志穂美悦子さん。

そんな志穂美さんですが、現在はどのように活躍されているのでしょうか。

志穂美悦子さんは現在、フラワーアーティストやシャンソン歌手として新たな分野で活躍しています。

1987年に芸能界を引退した後、2010年頃からフラワーアーティスト(花創作家)として活動を開始し、2011年から本格的に復帰しました。

2024年には「鬼無里まり(きなさ まり)」名義でシャンソン歌手としてデビューし、「日本シャンソンコンクール」では優秀賞を獲得しています。

「鬼無里まり」として歌手デビュー

出典:長野放送

現在69歳となった志穂美さんですが、驚異的な体力を維持しており、30キロのベンチプレスを軽々と持ち上げる筋力を誇っています。

「美魔女すぎる」「69歳とは思えない」と話題になっており、20代から変わらぬ体形を維持しています。

2025年には70歳を迎える志穂美さんは「80歳でも歌って踊れる自分でいたい」と語り、公営のトレーニングルームで筋トレを続けています。

運動を「体へのご褒美」と捉える前向きな姿勢で、新たな挑戦を続けています。

まとめ

志穂美悦子さんの若い頃は、圧倒的な美貌と運動能力を持つアクション女優でした。

ブレイクのきっかけは1974年の映画『女必殺拳』で、国内外で大ヒットを記録しました。

現在は69歳ながら、フラワーアーティストやシャンソン歌手として新たな分野で活躍しています。

これからも志穂美悦子さんのご活躍を応援していきましょう。

それではありがとうございました。

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